Asian Flower feat. 坂本龍一
トベタ・バジュンが多彩な音楽家たちとコラボしたオリジナル・ファースト・ソロアルバム『青い蝶』(2008年発売)の1曲目が、坂本龍一のピアノをフィーチャーした曲「Asian Flower」だった。
トベタ・バジュンと坂本龍一(以下、教授と表記)の出会いは2003年11月、教授のラジオ番組「RADIO SAKAMOTO」(J-WAVE)のオーディションコーナーにトベタが送った自作のボサノヴァ曲「O Mar Em Paz」を教授が絶賛。オーディション卒業の評価を得たことから始まった。
YMO世代のトベタにとって、教授は最も尊敬する音楽家。しかも彼は幼少時からクラシックピアノを学び、ショパンやドビュッシーなどを聴き、ラテン系のバンドをやっていた父の影響でアントニオ・カルロス・ジョビンの音楽も聴いていた。教授と同様の音楽体験を経てきたことになる。
しかも2003年11月は、教授がジャキス&パウラ・モレレンバウム夫妻とのユニット、Morelenbaum2/Sakamoto(M2S)を結成してジョビンの名曲を室内楽のアプローチで録音したアルバム『casa』(2001年)から足掛け3年、このユニットで行なってきたワールドツアーが終了した時期。追記するならM2Sのレパートリーに「Amor Em Paz」というタイトルのジョビンの楽曲があることを知れば、トベタが「O Mar Em Paz」にこめたオマージュの意図も想像できる。いろんな要素が結びついての出会いだったのだろう。
その後、トベタはオリジナル・ソロアルバムの制作に着手。最初に制作した楽曲が、映画音楽的な「Asian Flower」だった。教授が90年代に作曲して台湾の二胡奏者、ケニー・ウェンに提供した楽曲「A Flower Is Not A Flower」への返歌のような想いで創った曲と、トベタはコメントしている。
トベタは教授に「Asian Flower」に参加してピアノを弾いてほしい。そう願った。しかし当時の彼と教授とは、ラジオでの出会いを通じて面識はあったものの、まだ親しい関係ではなかったため、トベタは教授が所属するレコード会社を通じて参加のオファーをしたのだが、反応は剣もほろろ。当時のトベタの音楽業界での知名度を考えればいたしかたなかったことかもしれないが・・・。
トベタはそこで諦めず、教授の所属事務所からアプローチを試み、教授に直談判。その結果は、快諾だった。ちなみに「Asian Flower」の録音に参加した2004年の教授は、リーダーアルバム『CHASM』を発表した時期でもあった。
こうしてトベタと教授の初共演が実現。最初に書いたように「Asian Flower」は『青い蝶』のオープニング曲として2008年、世に出ることとなった。トベタが長年、教授の音楽に寄せてきた愛と敬意、それを受けとめて鍵盤に答を描いた教授。出会うべくして出会った二人の、普段着の出会いと言える楽曲となった。
その後、トベタは教授が還暦を迎えた2012年にアルバム『坂本龍一トリビュート – Ryuichi Sakamoto Tribute –』のプロデューサーをつとめた。また同年、School Music Revival Live大会のテーマソング「ETUDE」を教授が作曲、トベタが編曲した。
なお「Asian Flower」を、トベタは2021年、ジャキス・モレレンバウム(チェロ)を迎え、自身はピアノを演奏、トリオの編成で再録音した。また、教授との出会いとなった楽曲「O Mar Em Paz」をトベタは、大貫妙子の歌と日本語詩で「静かの海」と題して録音し『青い蝶』で発表。さらにその後、パウラ・モレレンバウムがポルトガル語詩で歌ったヴァージョンも発表した。
出会いから絆が生まれ、人と人との新たな出会いが生まれることを「Asian Flower」は教えてくれる。