静かの海 feat. 大貫妙子

2003年、トベタ・バジュンが坂本龍一と出会う要因となった「O Mar Em Paz」。このオリジナル曲にトベタ自ら日本語の歌詞をつけ、大貫妙子の歌で録音した曲が「静かの海」。オリジナル・ファースト・ソロアルバム『青い蝶』(2008年)に収録されている。
奇しくも2025年は、大貫妙子がシュガー・ベイブのメンバーとしてアルバム・デビューしてから50周年にあたる。シュガー・ベイブ解散後の1976年、大貫妙子はファースト・ソロ・アルバム『グレイ・スカイズ』を発表。1977年のセカンド・アルバム『サンシャワー』は全曲、坂本龍一がミュージカル・ディレクションとアレンジを担当した。当時のセールスは成功に至らなかったが、2014年、テレビ番組『Youは何しに日本へ?』を通じて話題となり、その頃に起こった世界的なシティポップ・ブームを代表する名盤に定着している。
話を戻して「静かの海」の歌詞を完成させたトベタは、憧れの音楽家である大貫妙子に歌唱の依頼を決意。直接、コンタクトした。トベタはこう語る。
「大貫さんへのオファーは、メールでも電話でもなく、一通の手紙でした。言葉を慎重に選びながら、自身の想いを丁寧に綴り、心を込めて送ったその手紙に対し、まさかの本人から直接お電話を頂戴するという奇跡のような出来事が起こります。
”ギャラは必要ありません。でも、あなたが心の負担にならないように、気持ちの良い金額を自由に決めてください” 。
そんな優しい言葉とともに、オファーは快諾されました」
坂本龍一をフィーチャーした「Asian Flower」の経緯と同じようなことが起きたのだ。しかも大貫妙子が、別の人物が書いた歌詞を歌うのは異例のこと。トベタの思いが彼女の心に届いたのだろう。彼女にとっては “戦友” とも言える坂本龍一と、トベタとの出会いの情景もオーバーラップしてくる。再びトベタの言葉を引用しよう。
「レコーディングは自由が丘のスタジオで行われ、完璧主義として知られる大貫さんは、一音一音を丁寧に紡ぎながら、実に12時間以上もの時間を惜しみなく費やしてくれました。音楽への真摯な姿勢と、作品に向き合う情熱に、トベタは改めて音楽の力と、それを生み出す人の温かさを実感することとなりました」
ボサノヴァ・タッチの「O Mar Em Paz」からスロー・ジャズ仕立てにリニューアルされた「静かの海」。まるで大貫妙子が自ら書いた歌詞を歌っているように聴こえる。それは歌詞の内容だけでなく、言葉の響き、声の音楽性。そんな言葉に例えることも出来る。大貫妙子が敬愛するジョアン・ジルベルトの発声や響きのように。
ところで私事になるが、僕は大貫妙子と50年来の旧知で、現場をご一緒する機会も何度かあった。2006年頃だったか、彼女に言われたことがある。要約すると「私はもっと若い人たちと一緒に仕事がしたい」。僕が「大貫さんて、怖がられてるというか(笑)、若い人たちが気楽に声をかけづらい。そう思われてる」と答えたら「じゃあ中原くんが若いミュージシャンの人たちに “大貫がこう言ってる” と伝えてよ」。指令(笑)を受けて動き、大貫妙子より20歳あまり年下のプロデューサーのプロジェクトへの参加が決まった。そこで彼女が歌ったのも、オリジナルではない曲だった。
今、振り返れば、彼女の発言と行動は、トベタ・バジュンからのラヴコールを受けて歌った「静かの海」が出発点だったのではないだろうか。あらためて「静かの海」を聴きながら、そんなことを思っている。