「予算が潤沢だから」と自慢された日のこと

もう何年も前の話だが、あるメジャーレコード会社の偉い人と話していて、いまだに忘れられない自慢をされたことがある。
「今度うちで、〇〇(誰もが知る大物アーティスト)のトリビュートを作るんだけどね。予算が潤沢だから、豪華アーティストをどんどん呼べるんだよ」「君なら誰をオファーする?」と。
得意げだった。とても得意げだった。私はたぶん、相当に間抜けな顔をしていたと思う。相槌を打つべき場面だということは分かっていたのに、何を言われているのかが、本当に分からなかったからだ。
豪華アーティストが参加すること。それ自体は、悪いことではない。ただ、それを制作の出発点として、しかも自慢として語れる感覚が、私にはどうしても理解できなかった。トリビュートというのは、亡くなった人、あるいは道を作ってくれた人に捧げるものである。その中心にあるべきなのは、捧げる相手への想いであって、「誰を呼べたか」というキャスティングの豪華さではない。香典の額を競い合う通夜みたいなものだ。祭壇は立派かもしれないが、故人はたぶん、そこにいない。
「豪華アーティスト参加」は、対象アーティストへの敬意ではなく、担当者の自己満足である。当時はうまく言葉にできなかったが、今なら、そう言える。
今年、私はセルジオ・メンデスのトリビュートアルバムを作った。
きっかけは、子供の頃にさかのぼる。父が持っていた2枚のLP。『Herb Alpert Presents Sergio Mendes & Brasil ’66』と『Look Around』。自宅のアナログプレーヤーで、飽きもせず繰り返し聴いていた。針を落とした瞬間に立ち上がる、あの空気感まで、いまだに身体が覚えている。


子供だから、ボサノヴァもMPBも知らない。ただ、セルジオのピアノには、子供の耳にもはっきり分かる「風通しの良さ」があった。ブラジルのリズムの上で女性ヴォーカルのハーモニーが揺れて、ピアノがその全体を優雅に泳いでいく。大人になって音楽家として聴き直して、ようやく気づいた。あれは、ブラジル音楽とアメリカン・ポップスの、奇跡的なバランスの上に成り立っていたのだ。どちらにも寄りかからず、どちらの美点も損なわない。セルジオは、異なる音楽文化を「翻訳」するのではなく「共存」させた人だった。
2024年9月、訃報に接したとき、真っ先に浮かんだのは、新しい曲のアイデアではなかった。あの子供部屋で回っていた、LPの盤面だった。
恩人に、何かを返したい。このアルバムの動機は、それだけである。予算の話は、一度も出発点になっていない。
だから作り方も、豪華さとは別の場所から始まった。
最初に決めたのは、たった一点。「Gracinha Leporaceに、Mas Que Nadaを歌ってほしい」。それだけだった。
セルジオの音楽人生を半世紀にわたって隣で歌い続けた妻、Gracinha。彼女の声が中心になければ、このアルバムは「よくできたカバー集」にしかならない。彼女が「Mas Que Nada」を歌ってくれて初めて、これは家族からの追悼になる。幸い、Gracinhaはこの想いを受け止めてくれた。ご家族・エステート公認のトリビュートとして作る、という土台が最初に固まり、すべての選曲もアレンジも、その上に積み上げていった。
選曲は、全部私がやった。軸にしたのは、あの子供部屋の2枚のLPだ。セルジオに詳しい人なら「あの曲は入っていないのか」と思うだろう。でも、これは網羅的なベスト盤ではない。一人の音楽家の記憶の中にあるセルジオ像を、そのまま音にしたものだ。選曲の偏りは、そのまま私の人生の偏りである。
ゲストにも、一人ずつ「その人がそこにいる理由」がある。
「Batucada」を歌ってくれたのは、小野リサさんだ。ブラジルに生まれ育ち、日本に「ボサノヴァ」という言葉を根づかせた張本人。彼女の声には、翻訳を必要としない体温がある。村田陽一さんのアレンジによるストリングスと管楽器を、銀座の音響ハウスで生で録音した。オーケストラの上にリサさんの声が重なった瞬間、東京のスタジオの空気が、ふっとリオの湿度に変わった。あの一瞬のために、この曲はあったのだと思う。
サイゲンジは、盟友である。とはいえ最後に会ったのは何年も前、中島ノブユキさんを含めた酒の席だった。数年ぶりの再会の場所が、レコーディングスタジオのブースだった、というのが僕等らしいといえば僕等らしい。彼に託したのは「Constant Rain(Chove Chuva)」。もともとはジョルジ・ベンが書いたポルトガル語のサンバで、それをセルジオが英語詞の「Constant Rain」として世界に届けた曲だ。セルジオが生涯かけてやった仕事が「ブラジル音楽を世界の言葉に翻訳すること」だったとしたら、この曲を故郷の言葉に戻して歌うことは、逆向きの翻訳である。ギター一本と声だけで、それをやれる歌い手を、私はサイゲンジしか知らない。ブースの外で聴きながら、これ以上の弔辞があるだろうか、と思った。
そして、吉田和雄さん。本作のディレクターであり、音楽家であり、私がいちばん重いものを預けた人だ。吉田さんと出逢えて本当に良かったと、いつも思う。いつも、感謝している。アルバムの終盤には、その吉田さん自身による「Mas Que Nada」も収められている。冒頭近くでGracinhaが歌ったのと、同じ曲がもう一度。一枚のアルバムの中で、同じ歌が二度、別の街の空気をまとって歌われる。追悼というのは一方通行の言葉だが、これはどこか、往復書簡に似ている。
ほかにも、電子音楽の言語でラテンを再解釈させたら世界随一のAtomTM。ピアニストとしてキャリアを始めたセルジオに捧げる、フェビアン・レザ・パネのソロピアノ「The Look of Love」。アルバムの中盤、様々な声とリズムが行き交った後に、聴き手が一度静かに呼吸できる場所として、あの演奏は最初からあの位置に置くと決めていた。
こうして並べてみると、「なんだ、結局豪華ではないか」と言われそうである。違うのだ。順番が逆なのだ。豪華だから呼んだのではない。「この曲は、この人しかいない」を一人ずつ積み重ねていったら、結果としてこうなった。豪華さは、目的にした瞬間に自己満足になる。けれど必然を積み重ねた結果としてそこに立ち現れるなら、それは豪華ですらない。ただの、正しい人選である。
ロサンゼルスで「Mas Que Nada」を録り終えた夜、サンタモニカの海の近くのレストランで、Gracinhaと延々と話し込んだ。セルジオとの日々のこと。彼の音楽哲学のこと。あの夜の会話は、レコーディングそのものと同じくらい、この作品の一部になっている。
アルバムのジャケットには、そのGracinhaからいただいた一枚の写真を使わせていただいた。セルジオと彼女の、美しい思い出の写真だ。手紙に写真を同封することがあるように、この作品のいちばん表側には、二人が過ごした時間が写っている。何十年も家族のアルバムの中にあった一枚が、これからは世界中のリスナーの画面と棚に飾られる。ジャケットを見るたびに、あのサンタモニカの夜の、会話の続きを聴いているような気持ちになる。

冒頭の偉い人に、もし今また会えたら、こう言うと思う。予算が潤沢なのは、正直、羨ましいです。でも、トリビュートは手紙です。
『Sergio Mendes Tribute』は、セルジオへの想いを手紙にしたような作品だ。宛先は、もうこの世にいない。それでも手紙は、書ける。届くと信じて書くものが、手紙だからだ。
セルジオの命日に、この手紙を投函する。
参加ミュージシャンなど詳細はこちら。 https://bajune.com/release/SergioMendesTribute/
